聞こえにくくなることは自然な流れ
「難聴」その中でも加齢性難聴と呼ばれるものは、年齢を重ねるとともに聞こえが低下していく一般的な難聴です。
聴力自体はどんな人でも30代くらいから少しづつ低下していきます。実際に30代で聞こえが低下しているとはあまり実感できないと思いますが、高い音から少しづつ低下していくことは自然な流れといえます。
高い音で有名なところでは、モスキート音というものがあります。これは、20代くらいまでの若者には聞こえる18,000Hzくらいのとても高い周波数帯の音です。人は20,000Hzくらいまで聞くことが可能と言われていますので、上限に近い周波数ということになります。
このモスキート音ですが、とても耳障りで人を不快にさせます。コンビニなどの入り口付近で発生させていることが多く、若者を入り口付近に溜まらせないために使用されたりしています。
モスキート音は、年齢を重ねていくほどに聞こえなくなっていくので、モスキート音が発生しているにもかかわらず快適に過ごせているとしたら大人になった証拠ですね。
自覚したときは中等度以上が9割
加齢性難聴は、高い周波数から低下し徐々に低い周波数帯に進行していきます。
かつては聞こえていた周波数帯がいつの間にか聞こえなくなっているので気が付きそうなものですが、すぐに自覚するのは難しいです。
仮に全周波数帯が、同じ割合で聞こえにくくなるのであれば難聴を自覚しやすいと思いますが、実際にはそうではありません。自覚した頃には、ある程度難聴が進行していると言っていいと思います。
我慢して解決することはあまりない
人は、我慢できることにはお金をかけない傾向にあります。しかし、我慢すれば問題が解決することはほとんどありません。特に聞こえの問題は、会話相手がいることなので自分が我慢すれば良いというわけにはいきません。
「雑談」こそ大事な話
会話の内容がわからなければ相手に聞き返す必要があり、相手は同じ内容を繰り返し伝えることとなります。
連絡事項などの大事な話であれば、相手も伝わるまで会話を続けると思います。ただし、大事な話はそう頻繁にあるわけではありませんので、我慢できるのかもしれません。もしかしたら我慢している感覚もあまりないのかもしれませんが、それでよいのでしょうか。
日常生活においての大事な話とは「雑談」です。毎日の何気ない会話、コミュニケーションが生活を豊かにしてくれます。そして、そういった会話の多くは家族や友人と共有します。
では、そんな場面で聞こえの問題がある時、誰が我慢をしているのでしょうか。
まず、会話が続いているのであれば、それは間違いなく家族や友人です。
そして一方で、会話が続かないで終わってしまう場合は難聴者本人が我慢をしているのだと思います。
ここで重要なポイントは、会話はどちらの場合も行われているということです。重要なのは会話の内容そのものではありません。その会話が楽しく続いているかどうかです。
聞こえの問題は決して難聴者だけの問題ではありません。我慢しても問題の解決にはならないのです。
聞こえの困りごとがあれば、補聴器などの解決策を検討することをお勧めします。